ダ・ヴィンチ - ワラウ

無症状キャリアとして感染を広めてしまった人間に罪はあるのか? 「恐怖の伝説」を残した女性の実像

2020年6月27日

  • 『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(金森修/筑摩書房)

    「チフスのメアリー」と聞いて、ピンと来る日本人はあまり多くないだろう。だが、この名前は感染症や医学に携わる人の間では広く知られている。また、欧米では小説のモデルなどにもなっており、ほぼ一般名詞として通用するという。
     
     本名をメアリー・マローンというこの女性は、20世紀初頭のアメリカに実在した人物だ。賄(まかな)い婦としてさまざまな家庭に雇われ、料理を作っていた彼女は、じつは当時まだ致死性の高かった腸チフスの無症候性(無症状)キャリアであり、本人に自覚のないまま雇い主の家族ら50人近くに次々と病を伝染させたとされている。そして、37歳のときにニューヨークの公衆衛生局に身柄を確保されると、以後、亡くなるまで30年以上にわたる隔離生活を当局によって強制された。
     
    『病魔という悪の物語 チフスのメアリー』(金森修/筑摩書房)は、生前から現在にいたるまで「毒婦」、「無垢の殺人者」、「歩く腸チフス工場」といったイメージで語られ続けている彼女の知られざる生涯と、当時の社会状況を俯瞰的に考察する1冊だ。著者は、おもに科学思想史と哲学を専門とする研究者で、パリ第一大学で哲学の博士号を取り、のちに東大教育学研究科の教授も務めている。


    “Typhoid Mary”(チフスのメアリー)と題された記事。『ニューヨークアメリカン』紙、1909年6月20日版(イラストでフライパンに入れているのは髑髏)

     著者が本書を書く上で念頭に置いていたのは、次のような重く、簡単には答えの出ないテーマだ。


    “社会に住む不特定多数の人たちの命を救うためなら、一人の人間、または少数の人間たちの自由がある程度制限されても、仕方のないことなのか。その場合、一言で制限といっても、どの程度までの制限が許されるのか”


     この問いに対して、「それは仕方のないことだ」と答える人が多数派かもしれない。だが、本書を読み終えたとき、その答えは変わる可能性がある。

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