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生誕100周年・安部公房『第四間氷期』ってどんな話? 現代のChatGPTにも通じる予言的小説

2024年4月15日

  • 第四間氷期"
    『第四間氷期』(安部公房/新潮社)

     ChatGPTをはじめとした生成AIが世の中を席巻している2020年代のこの時流の中で、1950年代終わりに書かれた『第四間氷期』(安部公房/新潮社)を読むと、占い師に自分の人生を言い当てられたかのようなドキリとした感覚を味わうことができます。


     今年2024年が没後100周年の著者・安部公房は、『砂の女』等の代表作で世界的に知られるようになる数年前に、本作の執筆を通してSF的世界観に磨きをかけていました。まずは、物語の導入をご紹介します。


     冷戦中の宇宙開発競争のように、「予言機械」が世界各国で研究開発されている世の中。日本に暮らす40代男性「私」こと勝見博士は、中央計算技術研究所で「KEIGI-1」という予言機械を開発した人物。彼の探求は続き、町でみかけた中年男性を実験台に「人の未来を予言する」試みをしようとするが、事態は思わぬ方向に……


     前衛小説家として知られる著者は、ここから物語を「子宮外妊娠」や「水棲人」というキーワードが飛び交うような奇想天外な方向に発展させていきます。なぜそういうふうに飛躍していくのかをひもとくキーワードは「主観」であると筆者は感じました。どんな人間も主観を完全に避けることはできないという点で、人が日々暮らす上で主観はある種の絶対性を持ちますが、同時にそれは可変的で信用ならないということが本書では題材にされています。


     ここで現代に少し話を戻しましょう。ChatGPT等の対話型AIは人間からの入力ありきで機能しますが、その指示入力は「プロンプト」と呼ばれます。指示を設計・最適化する仕事はプロンプトエンジニアリングと呼ばれ、高給取りな仕事として最近注目を集めています。いわば、AIの主観を形作っていく仕事ともいえるでしょう。


     たとえば、「AIにジョークのセンスってあるの?」とChatGPTに尋ねると「AIにもジョークのセンスはありますが、そのセンスや面白さは個々のAIの訓練データやアルゴリズムに依存します」と答えます。素の状態のAIは、主観を持ち合わせていないのです。


     本作にはまさに、AIのそうした性質やプロンプトエンジニアリングのことを話しているかのように錯覚する一節が冒頭で登場し、現代の読者を引き込みます。


    電子計算機は、一種の考える機械である。機械は考えることはできるが、しかし問題をつくりだすことはできない。機械に考えさせるためには、プログラム・カードという、機械の言葉で書かれた質問表をあたえてやらなければならないのである。


     水の中の魚が「水の中にいる」と強く自覚していないのと同様に、私たちは主観をもってしても「こういう今にいる」「こういう未来に向かっている」と知ることができません。本作の題名に入っている「間氷期(かんぴょうき)」という言葉は、そうした「人間の限界」を示すもう一つの重要キーワードです。


     現在の地球は約3500万年前に始まった氷河期、その内でも若干あたたかめな「間氷期」の最中だそうです。そして、次に地球がものすごく寒くなるタイミングは5万年後くらいとも、温暖化によって氷河期はもっと長く到来しないかもとも言われています。


     私たちが人間として生きる上で頼みの綱ともいえる主観は、そういった自然の超大なサイクルや、未来に向かって刻々と推移する時間の前ではあまりにも無力であるということを、本書はSFというオブラートに包みつつ読者に痛感させます。


    「豚に、豚みたいだと言っても、おこられたりはしませんよ……」
    ふいに、全身がけだるく、しびれるような感覚におそわれて、私は口ごもった。星をみながら、じっと宇宙の無限を考えたりしていると、ふと涙があふれそうになったりする、あれと同じ感覚である。絶望でもなければ、感傷でもない、いわば思考の有限性と肉体の無力感との、共鳴作用のようなものだった。


     それでも「今」を生きて、未来を切り拓いていく気概はあるのか? 1950年代終わりに書かれたこと自体が衝撃的な本作は、読者それぞれの主観で形作っている「今」に、ズカズカと踏み込んでそう問いかけてくるパワフルな一作です。


    文=神保慶政

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