ダ・ヴィンチ - ワラウ

結界/中村倫也のTHE やんごとなき雑談②

2021年5月2日

  • (初出『ダ・ヴィンチ』2020年3月号)

     “平常心”がモットーになったのは、いつからだろう。

     僕は「マイペースな人だ」と思われることが多いのだが、これは生まれつきそうだったわけではなく、外的圧力から自分を守るために後天的に身に纏った一種の“結界”のようなものだと考えている。伸び伸びと自分のことだけ考えていれば良かった学生時代とは違い、社会に出て、プレッシャーを感じる現場や、よくわからない理不尽に振り回される瞬間、また良くも悪くも「まぐれ」が出て、それが自分の力だと過信してしっぺ返しを喰らう場面など、心が乱れる様々な出来事に出合ってきた。そしてその都度萎縮して仕事のクオリティが下がり、自分の肝っ玉の小ささに落ち込んだ。いつ、いかなる時も実力を発揮するのがプロだとするならば、僕の場合はまず緊張や不安、気負い、身の丈に合わない称賛などの様々な外的要因に影響されず常に純粋な力を出せるように“平常心”を身につける必要があると感じ、模索してきた結果の「マイペースなフリ」なのだ。つまり本当は今も、ちょっとしたことで心が乱れそうになるのだ。周りには気付かれないが。

     だから言葉を選ばずに言えば、昨年の大晦日は地獄だった。「NHK紅白歌合戦出場」。この響きだけで、僕の築き上げてきた平常心という名の結界はもう、ぐらんぐらんである。「なぜ役者が紅白に?」と疑問に思う方も多いだろうから説明させていただくと、昨年吹き替えを担当させていただいたディズニー映画『アラジン』のデュエット曲「ホール・ニュー・ワールド」を、紅白の企画、ディズニーメドレーの中で歌ってください、というオファーだった。つまり正確には白組でも紅組でも「紅白歌手」でもないのだが、出場は出場である。気をしっかり保たなければワンパンで死んでしまうレベルの大舞台だ。僕一人で出場、という話だったら、大変申し訳ないが断っていたと思う。それは決してビビってるからではなく、真面目な話、歌手でもない、曲を作ってる訳でもない自分が、全国のアーティストたちが目標とする場所に立つのは筋違いだと思うからだ。今までミュージカルなどで、歌手になりたいのになかなか夢が叶わず、頑張っている人たちと出会ってきた。僕が出演する二分半は、彼らが人生をかけて手にしたい時間なのだ。しかし今回はデュエット曲、相方の木下晴香さんもミュージカルを中心に活躍する女優さんだ。僕が自分の筋に固執して断れば、彼女の夢の切符を破ることになってしまう。それもまた筋が違うだろう。そんな経緯から、最大限の敬意を持って誠心誠意つとめさせていただく運びとなった。

     しかし気持ちの整理をつけたところで、簡単に乗りこなせる相手ではない。だって「紅白」である。年の瀬が近づくほどに胸がざわついていく。「こんな時こそ“平常心”だ。自分で敵を大きくしては、闘う前から負けている」と、武道の心得もないのに心頭滅却に努め、心を落ち着かせるも、「当日の衣装どうします?」「髪型どうします?」と、いつも一緒に仕事をしているメイク・スタイリストの何気ない問いかけで、障子に指を刺すかのように簡単に結界に穴が開く。そして方方で「出場おめでとう」と有り難いメッセージをいただくたびに、ビリビリと穴が広がっていきアワアワする。「みんな紅白だからって特別扱いやめようよ……いつもと同じテンションで挑もうよ……、意識しちゃうじゃない……」。完全にナーバスになっている。リハをすれば慣れないハンドマイクと音環境に手こずり、周りを見れば「CD持ってます!」と話しかけたくなるような普段会わない大物歌手の方々に囲まれ、正直に言おう、何度も「帰ってダラダラしたい」と思ったと!!

     そして迎えた本番当日。あの手この手を尽くして障子紙でできた自慢の結界の補修を試みたが、どうやら平常心は不可能だ。もう、悟った。だからシンプルに、今自分にできることは何なのか、自分がすべきことは何なのかを考えた。ただ一生懸命歌う。それだけぢゃないか。上手くなくたっていい、失敗して恥を晒したっていい。今日、この状態での、自分のベストを尽くそう。視界が開けた。そうと決まれば発声練習をして喉を開かなくては! いままでこんなにも大声で、楽屋で発声をした紅白出場者はいないだろう。だって普通恥ずかしくてできないもん。尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」を七回フルで歌って集中力を高めたところで、お呼びの声がかかった。

     本番。あっという間だった。結果から言えば、緊張という壁はうまく乗り越えられたと思う。審査員席の知り合いの顔に安心し、木下さんにも助けられ、思いの外落ち着いていた。しかし必死さとコントロールミスが目立った。自己採点では二十五点くらいだろうか。これが今の純粋な力だ。でも楽屋に戻る途中、沢山の人たちがキラキラとした笑顔と拍手で迎えてくれた。よく頑張ったね、と五十件くらいメールが届いた。自分のペースでいられなくても、結界に守られていなくても、精一杯やったことが誰かの笑顔につながるなら悪くないな、と、帰ってお風呂の中で考えた年越しだった。

    <第3回に続く>

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